不況と高金利を乗り越え90周年へ

Index

  1. 01.オイルショック発生で利益重視の経営へ
  2. 02.不況のなか果敢に挑戦
  3. 03.人材育成も継続強化
  4. 04.利益重視の経営継続で東西一元化へ
  5. 05.利益重視経営が功を奏す~伝統の生地で成果、OA機器販売に挑戦~
  6. 06.創業90周年で記念行事

オイルショック発生で利益重視の経営へ

1980(昭和55)年度を初年度とする新三カ年計画をスタートさせようとしていた矢先、第二次オイルショックが発生。
不況と高金利という試練が襲いました。

江藤社長は売上拡大よりも粗利益向上、ロス削減の経営効率化を図ることにしました。そこで各部門に次の4項目を推進するように指示しました。

①資金の効率化 ②在庫の圧縮 ③利益率の向上 ④経費の節約

その他、差別化素材開発、寝具部門の企画から販売ルート開発まで一貫した取組みの強化、非繊維部門の開発とカーペットの拡大を目的とした、組織の再編成を行いました。

不況のなか果敢に挑戦

  • イースタンストッフ展。京都と大阪のアパレル、生地会社が年に1度行っていた合同展示会。洋装、寝具、特殊プリントなどを紹介した。昭和56年の写真。

不況に苦しむ中、各部門はさまざまなことに挑戦していきました。

▶寝装・寝具
引き続き人気キャラクターを使った寝具全般を販売するなど、ライセンス事業で仕掛けていく寝装・寝具分野。

キャラクターだけではなく、1981(昭和56)年、アメリカの人気女子プロゴルファーと提携し、寝装・寝具分野でのトータルブランドを開始。
さらに、音楽雑誌やファッション専門誌と商品化契約を締結するなどブランドライセンスビジネスを絡めた施策を実行していきました。

▶インテリア
カーテン・カーペットの拡販に成功した田村駒。
インテリア各部門の専業メーカーが、トータルインテリアを目指してカーテン・カーペット分野に進出する動きが高まり、1960年代にカーテン分野が強みとなっていた田村駒はいち早く企画提案を行いました。

結果、大手企業との取引が拡大し、カーテンの取り扱いがさらに増加しました。

▶産業資材
新設された産業資材部では、家電メーカー向けの防塵材、炉布、スパンボンド、長繊維不織布、断熱材を開発し、電器、家具、車輛業界向けに販路を開拓しました。

またこれらの商品を突破口としてそれまで関係のなかったメーカーと結びつき、そのメーカーの生産する商品の中から、田村駒の体質にあった新商品を発掘するようにしました。

▶生地・素材
生地・素材分野についても、中東向けに合繊織物の輸出が順調に伸び、1980(昭和55)年頃から大幅に増加、業界も注目する商品を展開しました。

また、オイルショックをきっかけに、手作り志向が強くなり、ホビーショップ商品が注目を集めるように。
田村駒も1981(昭和56)年頃から綿素材を中心に、用途を絞った素材の供給に力を入れました。

▶その他~小売店への販売に挑戦~
その他の挑戦事業として、二次製品の拡大を目的としたメンズアパレルの子会社設立。
またホビー分野進出を目的とした手芸・雑貨品の取り扱いを開始しました。

しかしどちらも販路未整備ゆえに失敗し、1年程度で終了。
小売店への直接販売の厳しさを痛感する出来事となりました。

人材育成も継続強化

1982(昭和57)年10月に外部企業診断を行った結果「人間関係のみ普通、他項目は普通以下」となりました。

江藤社長は、「よい点がでるような状態なら診断を受ける必要がない。問題は人間関係が”普通”ということにある。”他人の間違いや欠点を指摘せず、表面上はきわめて平穏で仲良しである”という状態は、決して好ましいことではない。摩擦を恐れず、表面だけの人間関係の良さをつき破って、もう一歩踏み込んで欲しい」と、社員に反省を促しました。

さらに研修会や講座を実施、戦略的商品計画訓練、執務訓練などを実施しました。

利益重視の経営継続で東西一元化へ

さまざまな利益重視の施策や新たな挑戦を行うものの、不況の継続と、貸し倒れ損失などがあり、1981(昭和56)年と1982(昭和57)年の決算は売上高は1000億円代を維持したものの、利益面はやや苦戦を強いられました。

1982(昭和57)年12月、新事業年度の方針として、引き続き利益確保に重点を置くことを打ち出します。

そのため、東京支店の独立採算制を廃止、営業部門・非営業部門ともに東西一元化を図り、人・モノ・カネの合理化を推進することにしました。

また、総合企画室を発展的に解消、社長室を設置し、社長直属の組織として、経営計画の立案、各本部間の調整、関係子会社の管理を行うことになりました。

そうした組織のもと、効率的な資金運用やコンピュータによる手形発行、審査部会の開催による与信強化等を行いました。

利益重視経営が功を奏す~伝統の生地で成果、OA機器販売に挑戦~

苦しい環境のなかでも、社員はあきらめずに挑戦を続けていきました。

▶生地
1983(昭和58)年3月、東西のホームテキスタイル部各課合同で「新しい生活文化の提案」をテーマに、大阪本社で展示会を開催。

綿素材を中心に1600配色の素材を展示、また情報コンセプトコーナーを設けるなど総合的な提案を行い、好評を博しました。

また田村駒の伝統的な商品の更紗でも嬉しいことがありました。
更紗は年間約300柄を発表するものの、ほとんどが数年で市場から姿を消してしまいます。

そのような中、更紗の桐のしぼり柄が10年間販売が継続し、1000万Mを突破するという初の快挙を達成したのです。

この柄は、カネボウ更紗の歴史に残るものとなりました。

  • 更紗の桐のしぼり柄。

▶OA機器
1983(昭和58)年、事業開発部でOA機器の販売に乗り出しました。
ファクシミリ、オフィスコンピュータ、ワープロ、パソコンなどについて本格的な取組みを開始。

またエコーカメラや外科用手術の超音波メスを、病院、開業医向けに販売しました。

こうした施策が実を結び、1983(昭和58)年11月期決算では、売上高こそ微減したものの、経常利益は大幅増益となりました。

創業90周年で記念行事

  • 創業90周年記念祝賀会の写真。

1984(昭和59)年3月、創業90周年を迎え、大阪と東京でそれぞれ盛大な記念式典とパーティーが開催されました。

式典の挨拶で江藤社長は次のように語りました。

「企業の目的は利潤の追求にあり、そのためには、常に新しいことに挑戦し、儲ける才覚が必要である。自主独立の精神を持って常に対処していけば、田村駒は100年、200年と残る会社になるだろう。社員諸君の奮起を期待する」。

このほか90周年の記念事業の一環として「田村駒物故者追悼慰霊祭」が5月に開催され、先人の功績に感謝しつつ、100周年に向けて全社一丸となって邁進する決意を新たにしたのでした。

  • 田村駒物故者追悼慰霊祭の時の写真。