2026年
history
tamurakoma
創業1894年
田村駒の歴史
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序章
慶応2~明治26年

田村駒治郎、誕生。
商いの道へ。
1866年、幕末の動乱期に旧家に生まれた初代駒治郎。
幼くして父を亡くし、商いの道を志します。
田村駒の礎は、彼の幼少期からの意匠(柄・デザイン)の才覚と、
丁稚奉公時代に培われた商才によって築かれました。
創業から躍進期
明治27~明治41年

「意匠の田村駒」創業。
世界へ挑んだ船場の商魂。
洋反物商として躍進を遂げる。
1894年3月15日、27歳の駒治郎は「神田屋田村駒商店」を創業。
実弟の平松徳三郎と共に二人三脚で洋反物商としての道を歩み始めました。
「他と同じことをやっていては勝てない」。
駒治郎が目を付けたのは、商品の「意匠(柄・デザイン)」でした。
日本人好みの意匠を施した洋反物は好評を博し、田村駒は躍進していきます。
しかし当時日本の染め加工技術は発展途上。
そこで神戸の外国商館に飛び込み、初の委託加工輸入に成功したのも田村駒でした。英国の技術と日本の美意識を融合させた戦略はまさにイノベーションでした。
株式会社化と多角化期
明治42~昭和5年

好不況の波に負けず。
株式会社化、通信販売、
意匠強化、
そして海外販売に挑戦。
第一次世界大戦の特需で好況かと思えば、
大正の大恐慌と関東大震災。
さらに昭和はじめの世界恐慌で大不況。
田村駒は「堅実経営」を軸に、
株式会社化、通信販売、意匠強化、
海外販売に挑戦することで
この落差激しい景気の大波を乗り切ったのです。
二代目・戦前期
昭和6~昭和11年

二代目社長の改革で「近代」へ。
海外輸出強化、商品多様化、
原料生産にも挑戦。
アメリカ式近代新社屋に驚愕!
昭和に入り、二代目駒治郎が社長に。
剛腹でエネルギッシュな二代目社長は、近代的経営を目指し改革を進めます。
海外輸出、商品多様化、そして原料生産部門への進出は、田村駒を近代的かつ国際的な商社へと変貌させていったのです。
またモダンな新社屋と充実した設備の社員寮は人々を驚かせました。
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意匠と商標
「意匠の田村駒」として名を馳せる所以となった芸術作品ともいえる意匠図案。
ビリケンさんを始め、創業期から数々のヒット商品の顔となってきた商標。
どちらも現在の田村駒を築いてきた重要な柱です。それらの一部をご紹介します。
戦中期
昭和12~昭和20年

戦火を耐え抜け。
商人魂で生き残る田村駒。
戦争により自由な商売ができなくなった時代。
会社を守るため、配給代行業務や海外営業に奔走。
商品、人、建物がなくなっても、商人魂の炎を絶やしませんでした。
戦後の積極経営期
昭和21~昭和27年

瓦礫からの再出発。
社長追放の危機は、実弟が救う。
復活後は朝鮮特需で猪突猛進。
終戦直後、GHQによる「MP事件」で二代目駒治郎は社長辞任へ。
ピンチを救ったのは実弟の田村寛次郎でした。
1949年に二代目駒治郎は社長に復帰、そして朝鮮特需。
猪突猛進の勢いで果敢に事業を展開していきます。
topics
田村駒と野球
田村駒と野球。実は深い関連があります。二代目駒治郎の時にプロ野球球団を経営、セ・リーグ初代王者になりました。
渡米の際に持ち帰ってきた「ブルー・ブック」は日本野球協約の基礎にもなったのです。
社会人野球でも好成績を残し、現在も社内交流として東西対抗野球大会を開催。「野球好きの気質」は脈々と受け継がれています。
経営危機期
昭和28~昭和36年

繊維相場大暴落で経営危機。
「絶対に田村駒をなくさない」
朝鮮戦争の停戦交渉が始まると、
高騰を続けていた繊維相場は一転して大暴落。
積極経営を推進していた田村駒も経営危機に陥ります。
二代目駒治郎は「絶対に田村駒をなくさない」という執念で、
再建に向けて命をかけて奔走したのでした。
再建成功期
昭和37~50年

3人のトロイカ体制で再建達成。
合成繊維が柱に。
堅実経営の徹底で過去最高益へ。
二代目駒治郎が逝去。後継の社長を選任せず、3名の経営陣による「トロイカ体制」で「田村駒完全復活」を目指しました。
大規模な機構改革を行い、天然繊維だけではなく、合成繊維が柱へと成長、金属・家電の非繊維分野の進出や、寝装・寝具やインテリア分野へ注力します。
1969年には社長制が復活し、直原が三代目社長に就任します。時代のニーズを捉えながらの堅実経営の徹底で、経営危機からの脱出、過去最高益を達成しました。
積極的堅実期
昭和51~平成8年

「積極的堅実」。
「自主独立の精神」。
次の100年へ。
1976年四代目社長に江藤善七郎が就任。「消極的堅実から積極的堅実へ」の標語や、「自主独立の精神をもって挑戦するように」と社員を鼓舞しながら、エネルギッシュに改革を実行していきます。
そんななか、第二次オイルショックが発生。高金利と不況に苦しむなか、利益重視の経営で時代の荒波を乗り越えます。
バブル景気に沸いたかと思えば、平成不況に突入。円高が進み、海外生産・二次製品へのシフトが加速していきました。
1991年五代目社長に石井宏が就任。
1994年には創業100周年を迎え、次の100年へ向けて更なる挑戦が続きます。
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田村駒の社内交流
1936(昭和11)年の三国寮を始まりとして、田村駒には社員寮がありました。2026年現在も借り上げ寮の形で運営されています。
時を同じくしてクラブ活動も盛んに行われ、運動会、夏の懇親会、クリスマスパーティーなど数多くの社内イベントも行われてきました。
こうした交流のなかで田村駒は絆を深めていきました。
企業体制・ODM強化期
平成9~平成20年

21世紀のIT時代突入。
強固な企業基盤を構築し、
アパレルODM・住宅産業資材が興隆。
平成不況が長引くなか、1997年六代目社長山藤正直が舵を取りました。財務基盤の抜本的改革、各種システム導入を進め、強固な企業基盤を構築します。
2003年七代目社長に冨士智之が就任。アパレルODMや住宅・産業資材分野が興隆し、21世紀の業容へと変化していきました。
事業拡大期
平成21~令和7年

田村駒グループで、世界へ。
創業130周年を越えて
次なる挑戦を。
平成から令和へ。コロナ禍や不況、急速なデジタル化とグローバル化で、市場は急速に変化を遂げています。
そうしたなかで、田村駒は
八代目社長市川政彦、九代目社長植木博行、十代目社長堀清人の、
「生え抜き社長」による、繊維にとどまらない事業の多角化を実施していきました。
「メーカー型商社」として、伝統ある「意匠・創造力」も含めた、
モノづくり機能を強化させ、人と人をつなぎ、
快適で持続可能な社会の実現を目指しています。
創業130周年を迎え田村駒グループは、グループ総合力で世界へ向けた挑戦を続けていきます。
これまでの歩みを礎に、
共に、さらなる未来へ。
私たちは多くの方に支えられ、
ここまで来ることができました。
「商社は人」というように、
人と人との繋がりを大切にしながら、
これからも皆さまと共に挑戦していきたい。
先人たちが築き上げた信頼と創造力で、
今の時代に求められる「新しい価値」を生み出し続ける。
これからも私たちは立ち止まることなく
進み続けます。



