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社長制の復活~過去最高益を達成~
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直原一雄が三代目社長に就任 ~「要は人の和」~
1969(昭和44)年7月、8年間にわたるトロイカ体制を経て、直原一雄が代表取締役社長に就任。田村駒三代目社長の誕生でした。
直原一雄は、1905(明治38)年に岡山県で生まれました。
旧制大阪高等学校を経て、京都大学法学部を卒業。
1930(昭和5)年に第三十四銀行(三和銀行の前身)に入行し、三和銀行本店審査第二部長に就任以来、繊維業界との縁が深まっていきました。
1958(昭和33)年、三和銀行からの支援として、代表取締役として田村駒常盤に入社。
「おのれを無にして互いの長所を生かす。要は人の和」を信条とし、非常に温厚で開放的・庶民的な人柄で知られていました。
ビジネスでは的確な判断で果敢に堅実経営を推進していきました。
後に大阪織物卸商業組合の理事長として取引の近代化に努めたほか、「大阪船場繊維卸商団地(大阪テキスタイルセンター)」の建設構想では、会計理事として資金計画を立案、大阪アパレル産業学校の初代校長に就任し、人材育成にも注力するなど、業界に貢献していきました。
堅実経営が花開く~過去最高益を達成~
1970(昭和45)年には齋藤静夫が副社長となり、直原・齋藤体制のもと、高度経済成長期に他社が不動産やレジャーへ多角化する中、田村駒は「繊維専門商社」として堅実経営を徹底しました。
1973(昭和48)年11月期、好景気と合繊メーカーとの緊密な連携による販売拡大、さらに寝装・寝具やインテリア分野の充実が結実し、年間売上高933億円、経常利益9億9000万円という過去最高益を達成しました。
その利益は賞与にも反映され、再建の苦労を知る中堅以上の社員は感慨もひとしおでした。
職場環境の充実と福利厚生の整備
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昭和45年2月、建装部の業務風景。
好成績をおさめたこの時期、田村駒は職場環境の拡充にも積極的に取り組みました。
1960年代に導入していたコンピューターのグレードアップ、電話のダイヤルイン導入などの業務軽減施策などが実施されました。
待遇面でも、1974(昭和49)年4月からは業界に先駆けて完全週休2日制を導入、全部屋個室となる箕面寮を完成させ、福利厚生の充実を図りました。



