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大不況を乗り越えた4つの施策
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大正末期から昭和初期の大不況
1918(大正7)年11月に第一次世界大戦が終戦。
終戦後、熱狂的な好景気となりましたが、1920(大正9)年には「大正の大恐慌」が発生、繊維相場が半値から4分の1にまで大暴落しました。
未曾有の危機に見舞われましたが、駒治郎は危険な思惑買いを極力避け、堅実経営を貫いてきたため、田村駒商店の損害は比較的軽微で済みました。
むしろ田村駒商店は、経営が苦しくなった主要な得意先に対して、商品を貸すなどの積極的な支援を行う余裕すらありました。
これにより、同業他社から「さすがは田村」と高い評価を受け、市場が落ち着きを取り戻した際には、得意先がシルクハットにフロックコートという正装でお礼を言いに来店する一幕もあったそうです。
その後も不況の影は尾を引き、1923(大正12)年には関東大震災が発生します。
さらに1927(昭和2)年の金融恐慌、1929(昭和4)年の世界恐慌、1930(昭和5)年の金輸出解禁により、日本は深刻な大不況に陥りました。
田村駒商店の主力商品であったモスリン相場も、市場最安値まで下落し、これまでにない危機を迎えます。
こうした大正末期から昭和初期の大不況に対し、駒治郎とその経営陣は、4つの施策を実施しました。
施策その1:通信販売の導入
1つは、新しい顧客を取り込むための通信販売の導入でした。
1920(大正9)年の「大正の大恐慌」の際、従来の得意先とは異なる客が船場に押しかけてきたことを駒治郎は見逃しませんでした。
「この潜在顧客を掘り起こしたい」
そう思った駒治郎は、1923(大正12)年、通信販売部を設置します。
創刊された「田村駒商報」は、商品カタログであると同時に、時事問題や経営指導などを掲載した情報誌として、月3回、全国の問屋や小売店に郵送されました。
これにより、全国どこからでも注文できるシステムを確立し、販路を一層拡大することが可能となったのです。
その表紙や積極的に開催された展示会の案内状には、美しい絵柄が添えられ、「意匠の田村駒」をアピールすることにも繋がりました。
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昭和初期の展示会案内
施策その2:商品の多様化
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田村駒製ウールモスリンの子供着物と半纏
2つ目は、商品の多様化でした。
田村駒では、綿モスリンなどを商品に加え、多品種の加工綿布を取り扱うようになりました。
1925(大正14)年頃からは、富士絹と人絹も登場。和装用途だけではなく、婦人・子供服地として売り出しました。
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左が人絹・スフの生地。右が富士絹の生地。
さらに1928(昭和3)年頃からは、都会を中心に普及し始めた洋服に対応するため、毛織服地の取り扱いを開始。
都会を中心に洋服が一般化し、服地需要が伸びていく市場を捉えた施策でした。
多品種の加工綿布に加え、新素材や洋装向けの商品を加えることで、時代の変化に対応し、難局を乗り切ろうとしたのです。
施策その3:意匠部門の更なる強化
3つ目は、得意分野である意匠部門の更なる強化でした。
1898(明治31)年に意匠室を設けて以来、気鋭の図案家を集めていた駒治郎。
友禅図案の懸賞募集や図案研究会も主催し、外部図案家との交流を図りながら、新人図案家の発掘と育成にも力を注いでいました。
1919(大正8)年には意匠研究会が設立。落語家を招いた催し物など、本来の目的から離れた親睦会に変化していきましたが、商売を抜きにして図案家を厚遇する田村駒商店の姿勢はデザイン界の発展に大きく貢献したのです。
そして意匠研究会の流れを組んだ七彩会と久津和会が、1929(昭和4)年に創設。
意匠図案の研究が盛んに行われるようになりました。
独創的な図案の新商品が開発され、田村駒商店の業績に寄与していったのでした。
施策その4:海外販路の拡大
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昭和初期スラバヤ(インドネシア)にて
4つ目の施策は、海外市場への販路拡大でした。
日本国内市場が極端に冷え込む中、大正年間にはすでに、インドネシア、タイ、シンガポールなどへも順次販路開拓を進めていた田村駒商店。
大正時代後半から、加工綿布の中国輸出において好成績を収めていました。
1927(昭和2)年に中国で日貨排斥運動が盛んになると、すぐに東南アジア諸国へと目を向け、市場調査や展示会を実施。繊維品だけではなく、食器や雑貨なども販売しました。
さらに、朝鮮、満州、台湾などの外地へ次々と出張員を送り込み、反日感情や為替高など、輸出も容易ではありませんでしたが、海外販路拡大を図っていきました。
この施策が次の時代に大きく花開くのです。
こうして、堅実経営と先駆的な施策により、田村駒商店は大不況を乗り切り、むしろ業績を伸ばしていきました。
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左:バタビヤ(ジャカルタ) 右:ペナン(マレーシア)
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左:ハノイ(ベトナム) 右:シンガポール
ミニコラム
富士絹と人絹とスフ
人絹とは、人造絹糸といい、レーヨンの長繊維のこと。1884(明治17)年にフランスで工業化され、日本では1905(明治38)年に初めて輸入されました。また1915(大正4)年頃日本でも研究・開発に成功し、日本の化学繊維工業の始まりとなりました。
スフは、人絹の短繊維のこと。綿、毛の代替品として注目され、混紡用、さらにスフ織物として普及、戦争前後でかけがえのない繊維となりました。



