田村駒とビリケンさん

Index

  1. 01.「ビリケンさん」誕生から田村駒との出会い
  2. 02.活躍するビリケンさん
  3. 03.『BILLIKEN CREATORS OSAKA』の活動

「ビリケンさん」といえば、大阪の定番観光地である通天閣を想像する方が多いのではないでしょうか?

そんなビリケンさんと田村駒の繋がりについて、ご紹介させていただきます。

「ビリケンさん」誕生から田村駒との出会い

ビリケン(BILLIKEN)は1908(明治41)年、アメリカの女性芸術家フローレンス・プリッツが「夢の中で見た神様」をモデルとし、制作した作品が起源と言われています。

その後、アメリカ・シカゴのビリケンカンパニーという会社が、ビリケン像を制作、販売し、幸福・満足のマスコットとして人気を博し、世界中で流行しました。


幸運を招く福の神として、日本にも1909(明治42)年に渡来します。

とんがった頭と、つりあがった目が特徴のビリケンさん人形は、日本でも大人気となりました。

偶然、銀座でこの人形を見つけ、気に入った初代駒治郎。
1911(明治44)年に田村駒商店の代表的な商標として登録したのです。

  • 明治44年。商標登録した最初の絵。

同時にビリケン像を正面にして後ろにえびす様を配した看板を主要得意先に配布しました。
左側に贈呈先の特約店名、右側に発売元田村駒商店を金文字で入れたものでした。

  • 主要得意先に配布した看板。

1912(明治45)年には、ビリケンさんと日本古来の七福神を合わせた「八福神」の商標も登録し、商品の向上、発展と得意先の商売繁昌を祈念したそうです。

ちなみにちょうど時を同じくして1912(明治45)年、新世界に通天閣とともに開業した遊園地「ルナパーク」にビリケンさんは展示されていました。

  • 「八福神」。綿編物・ネル製品に用いられたこの商標はヒット。明治45年登録。

活躍するビリケンさん

  • ビリケン祭。

以後ビリケンさんは田村駒商店の顔として看板や商標で大活躍。

1931(昭和6)年の初売りには不況克服を願ってビリケン像を得意先に配りました。

第二次世界大戦後の1949(昭和24)年11月8日〜9日には、戦前恒例となっていた秋の新築記念日売り出しを「ビリケン祭」として復活。「ビリケン祭」は、1962(昭和37)年まで毎年11月に開催されました。

一方、遊園地「ルナパーク」に鎮座していたビリケンさんは、戦争中に行方不明に。

1979(昭和54)年通天閣にビリケンさんを復活させようと、1949(昭和24)年の「ビリケン祭」復活の折に田村駒が作ったビリケン像をモデルに、通天閣のビリケンさんが製作されました。

  • 1949(昭和24)年制作のビリケン像。2025年に初参加したイケフェスにて展示。

再び新世界の地に鎮座することになったビリケンさん。足の裏をなでるとご利益があるとされ、幸福の神様として人気を博します。

そして、通天閣・新世界100周年を記念して、2012(平成24)年に新しいビリケンさんが新調され、今日まで大阪を訪れる多くの人々に愛されています。

『BILLIKEN CREATORS OSAKA』の活動

2022(令和4)年、「ビリケンさんをアートに、オーサカを元気に」をテーマにアート作品を発表する大阪発のアートイベント『BILLIKEN CREATORS OSAKA』が始動。
クリエイターのプロ・アマを問わず、ビリケンさんの新しいクリエイションの発表、活躍の機会の創出を目指しています。

第1回目の参加クリエイター31名から、回数を重ねるごとに参加者は増え、2025(令和7)年開催の第5回目では総勢128名のクリエイターにご参加いただきました。

2026(令和8)年3月には第6回目となる『BILLIKEN CREATORS OSAKA2026』が開催され盛り上がりを見せました。

『BILLIKEN CREATORS OSAKA』の取り組みは「TEAM EXPO 2025」プログラム/共創チャレンジにも登録され、大阪地域の復興に貢献してきました。

また、『BILLIKEN CREATORS OSAKA』とアパレル企業とのコラボにより、Tシャツや各種グッズが販売。ビリケンさんとアートをより身近に感じられるようになりました。

今後も『BILLIKEN CREATORS OSAKA』は活動の幅を広げていきます。