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初代田村駒治郎の生い立ち
貧困と逆境の中、非凡な才能と勤勉な性格で商人の道を拓く
初代田村駒治郎は、1866(慶応2)年6月18日、摂津国豊島郡池田村(現:大阪府池田市)の旧家五代目、笹部九兵衛の次男として誕生しました。
笹部家の屋号は神田屋と称され、庄屋組頭などを務めるほどでした。
しかし、明治維新のさなかであり、思うような収入は得られませんでした。
「これからの時代は、商売が有利だ」と考えた父九兵衛は、伊丹郷(現:伊丹市)にて酒造業を始めます。1866(慶応2)年、ちょうど駒治郎が誕生した頃でした。
しかし、この酒造業は失敗。1874(明治7)年頃から、醸造した酒が続けて腐敗するという、原因不明の不運に見舞われ、大きな損失を被ってしまいました。
さらに不運が続きます。1876(明治9)年、父九兵衛が脳卒中で倒れ、43歳という若さで帰らぬ人に。
一家の大黒柱を失い、6人の子供を抱えた母ムメは、土地建物を売り払って池田村に戻り、米穀小売商を始めました。
しかし、一家7人を養うだけの儲けはなく、厳しい生活が続きます。
駒治郎は子ども心に母を助けたいと願い、9歳で学業を断念。
11歳の春には単身で大阪に向かい、関東呉服を扱う商店へ奉公に出ました。
しかしその奉公先は没落。わずか一年足らずで実家に戻らざるを得ませんでした。
母ムメは、「子供たちを一人前の商人に育てるためには、商家に奉公させることが早道のはず」と考え、駒治郎を同村の酒造業を営む西田興兵衛家に預けることにしました。
幼少より利発で勤勉だった駒治郎。珠算や習字をいち早く習得し、商いの教えを受ける際には、納得するまでとことん質問を重ねるという、旺盛な知識欲の持ち主でした。
読書が好きで、小遣いを切り詰めて本を買い、暇を見つけては勉学に励む日々を送ります。
入店からわずか2、3年で、「西興の知恵駒」「西興の太閤」とあだ名されるほどに成長。
議論をすれば大人も太刀打ちできないほどであり、みんなから一目置かれていました。
1883(明治16)年、駒治郎は兵役義務を逃れるため、親戚の田村きくの養子となり、田村駒治郎と改名します。
1884(明治17)年、主人の西田興兵衛氏は、駒治郎の熱心な仕事ぶり、頭の回転の良さ、主人に対する忠義心をみて、「大阪の立派な商店で磨けば一段と才能が光る」と判断し大阪行きを勧めました。
駒治郎も大阪へ魅力を感じていたため、再出発を決意。
この決断は、駒治郎が商人の道を極める大きな分岐点となりました。



