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企業体質向上とグローバルな一気通貫体制の確立へ
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第六代目社長に山藤正直が就任
1990年代後半は、日本経済がバブル崩壊後の長い低迷期にあり、繊維業界もまた構造的な不況に直面していました。
追い打ちをかけるように、1995(平成7)年には阪神淡路大震災、1997(平成9)年には大手金融機関の相次ぐ破綻やアジア通貨危機などが発生、混乱を極めました。
そのような中、1997(平成9)年、第六代目社長として山藤正直が舵取りを担います。
昭和を色濃く残していた田村駒の抜本的「体質改善」を、財務面・評価制度・人材育成など多岐に渡り、システムの導入といった手段によって進めました。
また中国の上海に現地法人を設立させ、グローバルな一気通貫体制の構築にも着手しました。
山藤社長の経歴と人となり~情熱と厳しさ~
1935(昭和10)年に誕生。1958(昭和33)年に神戸大学を卒業後、三和銀行に入行。
1985(昭和60)年に取締役、1988(昭和63)年に常務取締役、1989(昭和64)年〜1996(平成8)年の7年間は、三和信用保証(株)の代表取締役社長を務めました。
1996(平成8)年に、田村駒の代表取締役副社長として入社、一年後の1997(平成9)年に田村駒六代目社長に就任しました。
山藤社長は「パソコンを持ったブルドーザー」と表現されるほどに、田村駒にさまざまなシステムを導入し、抜本的な改革を情熱的かつエネルギッシュに進めていきました。
積極的に現場に入り、導入したパソコンの使い方を直接社員に指導することもありました。
月初の営業会議では、数字の矛盾を徹底的に突き、怒号が飛ぶこともしばしば。
その厳しさは「このままでは会社が潰れることもあるかもしれない、絶対に潰してはならない」という強い危機感と責任感の裏返しであり、社員一同も改めて気を引き締め、業務にあたりました。
第3次中期経営計画「アクティブプラン21」始動 ~抜本的体質改善へ~
1997(平成9)年、第3次中期経営計画「アクティブプラン21」を始動。
この計画は、21世紀において田村駒が「繊維専門商社として発展し続けるための重要な土台作り」と位置づけられ、抜本的な体質改善を進めました。
まず着手したのは財務面。
不良在庫の償却、子会社の再建支援などを行い、財務体質の強化を図りました。
また現場に対しては今後の在庫方針・戦略などを徹底的に考えさせ、改善するよう指示しました。
それから人事評価制度にも着手しました。
能力考課制度を導入し、より具体的に求める人材像を示すとともに、客観的な評価が下せるように指標を作成しました。
何度も何度も修正を重ね、2026(令和8)年の現在でも利用できているほど、精度の高いものとなりました。
人材育成面においては、海外研修制度を導入。
「これからの時代には海外で視野を広げ知見を深める研修が必要だ!」と山藤社長は強く研修の必要性を説いたそうです。
さらにこうした施策を進めた1990年代後半は、ちょうどパソコンとインターネットが普及し始めた時でした。
財務面、人事評価制度、海外研修制度の改革にあたり、パソコンとインターネットを駆使した戦略的情報システムの構築が必要と考えた山藤社長。
ホストコンピュータを使用していましたが、各個人にパソコンを支給し、そのためのLANシステムを導入しました。
そのほかテレビ会議システム、ワークフローシステムを導入し、企業ホームページもこの時期に開設しました。
田村駒は「アクティブプラン21」の施策を進め、時代の潮流を読み違えることなく、21世紀に向けて企業基盤を強化することができたのでした。
サプライチェーン・インテグレーター(SCI)への進化
2000(平成12)年、山藤社長は第4次中期経営計画「変革・創造 SCI 21」を発表。
ここで提唱されたSCI(サプライチェーン・インテグレーター)という概念は、「単なる仲介役の商社から、顧客に対して価値ある機能を統合(インテグレート)し、付加価値の高いものづくりに貢献する存在への進化」を意味していました。
この計画では、以下の5つの基本方針が推進されることになりました。
①グローバルな素材調達・生産力と、フルアイテム提案力の強化。
②業態別・顧客別戦略の徹底。
③ローコストオペレーションの徹底。
④プロフェッショナル人材の育成。
⑤連結経営に向けたグループ戦略の再構築。
5つの基本方針の中でも、最も顕著な成果を上げたのが、1つ目の「グローバルな素材調達・生産力と、フルアイテム提案力の強化」でした。
2001(平成13)年、上海に独資の現地法人「田村駒(上海)貿易有限公司」を設立。
さらに合弁の物流会社TCSロジスティクスも立ち上げます。
これにより、素材調達から縫製、検品、物流加工までを自社グループ内で完結させる「一気通貫体制」を構築しました。
さらに、従来に引き続きアパレル製品の展示会を継続しながら、提案力にも磨きを掛けていきました。
こうした施策が功を奏し、2001(平成13)年、5年ぶりの売上高前年実績超えを達成したのです。
同年末には東京支店ビルの増築も完了し、関東地区での営業基盤もさらに強固なものとなりました。
厳しい経済環境下において、抜本的改革で過去の課題を清算し、グローバルな一気通貫体制構築によって新たな付加価値を創造する企業体質を作り上げたこの時期。
現代のビジネスモデルへと脱皮し始めた、重要な転換期となりました。



