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幸福の神様「ビリケンさん」が万博パビリオンに降臨 ミャクミャクと共闘、活性化に一役

11/28の産経新聞の夕刊(大阪限定)に、堀清人社長のインタビューが掲載されました。下記掲載内容です。

「ビリケンさんで万博と大阪を盛り上げたい」と語る田村駒の堀清人社長。右は今年3月、大阪本社前に設置したビリケン像=大阪市中央区(須谷友郁撮影)

 

 来年4月13日からの2025年大阪・関西万博の盛り上げに、ナニワのシンボル「ビリケンさん」が〝活躍〟することが分かった。会場でパビリオンに登場したり、アーティストがオリジナルのビリケン像を披露したりと形はさまざま。協力するのは、「通天閣」(大阪市浪速区)に先んじてビリケンさんを明治時代に米国から〝輸入〟し、日本での商標権を持つ繊維商社「田村駒」(中央区)だ。

 「ユーモラスな風貌なので神社仏閣はふさわしくない。身近な神様として、商店街などにいるのが一番似合う」。こう語る田村駒の堀清人社長は「大阪の活性化のため万博を後押しし、その万博をビリケンさんで後押しする」と力を込める。公式キャラクター「ミャクミャク」の存在感にも引けをとらない、心強い〝助っ人〟の登場だ。

 たとえば大阪外食産業協会のパビリオンには、ビリケンさん使用のライセンス契約を田村駒と結んだ外食企業が出る方向。ビリケンさんをデザインした看板の掲示や着ぐるみの登場が想定される。

 詳しい中身はこれからだが、大阪府市が出す大阪ヘルスケアパビリオンでも、持続可能な繊維・ファッション産業を考えるプロジェクトにビリケンさんが〝協力〟する。

 このほか会場では来年7月、パラアーティスト、MUSASHIさんが個展でオリジナルのビリケン像を出展。田村駒は開幕後の4月、22年から大阪市で行ってきた展示会「ビリケンクリエイターズオーサカ」の活動を説明する。

 この展示会はプロ・アマ問わず思い思いのビリケン像を絵画、アニメなどの平面作品にするもので、来年3月、5回目を行う。通常100人のアーティストが参加するが、5回目は130人以上になるという。

 ビリケンさんは1908年、米国の女性芸術家が夢で見た神様をモデルに創作。名前は09年に就任したウィリアム・タフト大統領の愛称「ビリー」に由来するともされる。

 米国の会社が幸福のマスコットとしてビリケン像をつくり世界で流行。つり上がった目に尖った頭、両足を突き出して座るスタイルは当時からだ。今や、海外の大半で忘れられたが、米国ではセントルイス大のマスコットとなっている。

 田村駒によると、日本には09年に渡ってきた。創業者の初代田村駒治郎さんが11年に商標登録。織物の商品キャラクターなどとして使うようになった。

 一方、12年、大阪・新世界で初代通天閣そばの遊園地にビリケン像が初めて置かれた。この像は田村駒と関係ない。その後、像は行方不明に。79年、文化人の呼びかけで、2代目通天閣に2代目ビリケン像がつくられた。

 モデルは田村駒が49年につくり、今も大阪本社内に置くビリケン像。制作のさい、無償で通天閣側に貸し出した。通天閣の像は2012年、3代目に変わっている。

 田村駒と通天閣側でライセンス供与などの話はなく、大阪を盛り上げる同志として協力を続けているという。1990年代後半、NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」や映画「ビリケン」などの影響で新世界が注目されるようになったのを機に、田村駒と通天閣側で事務局をつくり土産物品を中心に管理している。

 一方、田村駒は、さまざまな企業相手ではライセンス事業を強化しており、菓子、ビール、衣料など多様な商品でビリケンさんが使われている。「今はどんなビジネスもストーリーが必要。ビリケンさんを語れるのは財産だ」と堀さんは語る。

 また田村駒は創業130周年の今年3月、10年前の東京本社に続き、大阪本社前にブロンズのビリケン像を設置した。「万博が終わってもビリケンさんを推し、大阪を盛り上げたい」と堀さん。幸福の神様の雄飛は続きそうだ。(山口暢彦)

2024年11月28日 産経新聞(大阪限定)