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消えた「太陽レーヨン」と「商店」の文字
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太陽レーヨン合併
国家総動員法のもと、企業の整理や統廃合をせざるを得なかった戦時下。
1934(昭和9)年に設立した太陽レーヨンは、単独で存続するだけの規模をもっていましたが、原料事情の悪化による生産制限や朝鮮半島や満州への進出が思うように進まず、順調な経営とはいえませんでした。
二代目駒治郎は、周囲の勧めや、天然繊維と人造繊維の結合ができると考えた上で、国内屈指の麻紡績会社である帝国製麻(株)との合併を決断します。
1941(昭和16)年、太陽レーヨンは帝国製麻と一つになり、新たに帝国繊維株式会社が誕生、駒治郎は副社長に就任しました。
後に帝国繊維は軍の指定工場になりましたが、玉島スフ工場は営業休止の指令を受けてしまいます。
そこで駒治郎は航空製作工場に転換、帝繊航空として独立させました。しかし成果をあげないうちに終戦となりました。
終戦後、帝国繊維は3社に分割されましたが、太陽レーヨンは復活せず幕を閉じました。
消えた「商店」の文字:田村駒株式会社へ
1943(昭和18)年3月、戦局が悪化する中、看板から「商店」の文字が消え、現在に続く田村駒株式会社へと名称が変更されました。
これは個人商店の色彩を払拭し、軍事工業を最優先する国策に協力する姿勢を見せるための決断でした。
同じ頃、近隣の老舗企業も次々とその名から「商店」の文字を削っていきました。
こうして企業体制を大きく変化させながら、激動の時代を切り抜け、終戦を迎えます。
ミニコラム
戦闘機寄贈
1933(昭和8)年5月、初代駒治郎の三回忌に、当時としては優秀な九一式戦闘機一機を陸軍に献納しました。「愛国第84号(田村号)」と命名され、世間の話題をさらったそうです。



